□未題
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丑三つも過ぎた時分。
まだ肌寒い如月の花の香が混じる甘酸っぱい風が鼻先を擽る。
もうこんな時季か…。
そう思ったのは何度目だろう。
季節が移り変わる度に同じ事を思う。
雑賀孫市は宿の戸を静かに開いた。
「おかえりなさいませ」
気の良い親父が笑顔で迎えてくれた。
「いつも悪いな、親父」
孫市がこの宿に世話になってから半月が経とうとしていた。
戦を終え、たまたま立ち寄った宿。
資金だってそう持っていなかったが、手負いの孫市を手厚く看病し暫くここに居ていいという親父の言葉に甘えっぱなしである。
家族同然の様に親身になってくれるが、こうして遅くなっても咎められる事もなく親父は起きて待っていてくれる。
そして熱い茶を一杯出すと早々に部屋に戻っていく。
それは今日も一緒だ。
「親父はそろそろ休ませて頂きやす」
そう言い奥の部屋に消えて行った。
孫市はそれを目安に立ち上がり自室に戻る。
襖を開けると金糸の鬣(たてがみ)を持った獅子が着流し姿で壁に凭れ外を見ながら煙管を燻らせていた。
「よお、待ってたぜ」
慶次は振り返りそう言うと手招きで孫市を呼び寄せる。
「冷たくて気持ち良いねぇ」
開いてる手で孫市の冷え切った頬に触れる。
目元を笑ませると頬擦りをする。
「やめろって」
孫市が言うのに慶次はただ笑う。
「擽ってぇって」
孫市が笑い出すと慶次は少し離れる。
「そりゃ悪かった」
悪びれもせず言うとまた屈託無い顔で笑む。
「今日は何しに来たんだ?」
孫市が声音を低くして言うのに慶次の身体が少しだけ強張る。
「また、人肌恋しいのか?」
溜息をつきながら言う孫市に慶次は困ったような目で縋る。
「廓でも湯女風呂でも行ってくれば良いだろ」
投げ捨てるように言うと、慶次を強く睨んだ。
二人が交わる様になったのはこの宿に来てからだ。
その日二人は酒を浴びるように飲んだ。
そして呑まれた。
目が覚めると二人共真っ裸で記憶が無かった。
1度が2度。
2度が3度と数を重ねる内に当たり前の様になり今に至る。
しかし孫市はこの状態に少々苛立っていた。
互いが互いの慰みものだったのに、孫市は情に流されつつあった。
慶次に対してあってはいけない感情。
男色なんていうのは今時珍しくない。
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