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□DENIAL
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夏休みも終わりかけたある日、水鏡は家で机に向かっていた。
教師になって何度か経験している、一年で一番長い休み。
自分は直接の担当クラスを持っていないので追われるほどの忙しさは無いが、受け持っている授業に関しては別だった。
山ほどある来学期へ向けての資料作りを、少しずつ片付けていっていた。
その時、玄関のインターフォンが鳴った。
ペンを置き、リビング脇の受話器を手に取る。
「はい」
「先生」
「……」
受け持っている生徒の声も顔も、覚えているようで実際覚えていないのが教師だと。水鏡は学生時代からそう考えてきていたが、どうやら勘違いだったようだ。
今では、廊下ですれ違う生徒の顔さえ覚えてしまってきている自分。これは職業病に近いものなのだと、思うようになった。
だが、この生徒は別だ。覚えないわけが無い。
「なんだ?」
「大変、先生」
「だからなんだ」
涼やかな受話器越しの会話も、いつもの事。
「一ヶ月会ってない」
「夏休みだからな」
「違う。俺が、会いに来てないって事」
「あぁ、そうだな」
普段でも連休がある場合は約束も無しに家に来るこの生徒が、一ヶ月も自分から来ようとしなかったのは確かに快挙だった。
「……で?」
それでも、水鏡は静かに続ける。
「今日は、何の用だ」
「会いにきた」
「もうすぐ学校だろ、嫌でも会える」
そう、もう何日もすればまた毎日学校で会う生活が始まるのだ。
理解しがたいこの生徒の言葉の意味が分からないわけでもないが、そこはあえて気づかない振りをした。
「何よ、俺の事そんなに嫌い?」
それとも、誰かいるの?
と。少し大人びたような、寂しい気な言い方をした。
「もっと、生徒の事を大事にしてよ」
その台詞に、水鏡の眉間に皺が寄った。
「花菱」
「烈火って呼んで」
わざとらしく、甘えたような声を出した烈火には反応を返さず水鏡は続ける。
「分かった。上げてもいい。……けど、おまえ……」
「宿題は終わったよ」
「……」
なるほどな。
水鏡は、納得した。生徒から非難の声が上がるほどの量を出したのにも関わらず、それを終わらしてからここに来たということは、水鏡の考えを読んでいたということになる。
あれは多すぎ、と苦笑する烈火に心の中で溜息をついてから受話器を置いた。
玄関に行き、鍵を開ける。
すぐ見えた顔が、わずかひと月見ないうちに懐かしく感じた事は横へ置いて、その生徒を上げた。