BLUE OCEAN

□"미인아‐美人‐"
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「これから行くから」

『え、俺ちょっとこれから…』

「行くから」

『…分かったよ。どうすればいいの?』

「迎えに来い」

『ハイハイ。10分後に着くから』

携帯を切り、ベランダに出ると、冷たい風がヒチョルの体を切り刻むように襲ってきた。

伸びた髪が顔にまとわりつく。

めんどくさそうに掃うと手すりに寄りかかり眼下に広がる夜景に目をやった。通りを歩くカップルは寒さをイイワケにこれでもかと言わんばかりに、体を寄せ合っている。

「なんだよ、シアワセそうにくっつきやがって。転べ!」

いつもなら、毒づけば誰かが突っ込んだり、たしなめたりするけれど…生憎、今日はひとりきりだった。

願いもむなしく、カップルは更に密着度を高めながら角の向うに消えていった。

つまならそうに、鼻をならし見るともなしに通りを眺める。通りには家族連れや、友人同士、一人で歩いている人もいるのに、目に入るのはカップルばかりで、自分のバカさ加減に呆れるほどだ。

(こんな時はタバコでも吸ってりゃ、様になるんだけどな)

そうは思っても、ヒチョルは煙が嫌いだったし周りからも白い眼で睨まれる。そして、延々と小言を繰り返されるのが目に見えていた。

控えめにクラクションが鳴る。電話の相手で小言をいう代表格だった。

目をやると、車の中から軽く手を挙げてきた。迎えに来るように言ったのはヒチョル自身だし、相手もちゃんと予告どおり10分後に着いたけれど、すぐ降りる気にならずにいた。

段々と大きくなるクラクションを無視しつづけていると、とうとう相手は車から降り眉間にシワを寄せて見あげ携帯を取り出した。それと同時にボトムの中で携帯がなる。

「来いって言っておいて、なに?来ないなら俺行くよ?」

視線を合わせながら、お互いの居場所が分かるのに携帯で話す事態が少しばかり可笑しく感じる。このまま話し続けるのも面白いと思うが、下にいる男のあまりにも目立ちすぎる容貌に気づき諦めた。

すでに、遠巻きに人が集まり始めている。

「分かったよ。今降りるから、車ん中で待ってろ」

そう言うと返事を聞くこともせずに終了ボタンを押した。

黒革のライダースと財布を手にとり、玄関の鍵を閉め、間もなく戻ってきそうなヤツにメールを1通送る。

同じ年の苦労性からの返信は一言「自重しろ」だった。

「俺がいつ、羽目を外したって言うんだ」

文句を言いながら、急ぐでもなくゆっくりとエレベーターに向かう。エントランスを出た途端、遠巻きに見ていた人間の数が倍以上に増えていることに気づく。ジリジリと近づきつつあるが、サングラスをかけ、不機嫌な様子でヒト睨みすると動きが止まった。

「はやく乗ってくれるかな」

呼び出した相手の不機嫌な声を背に、ヒトの塊に再度目を向ける。サングラスをずらして笑顔を見せると、嬌声があがった。手を振り、車に乗り込む。ドアを閉めた途端「オッパー!」と叫ぶ声が聞えた。

「今日は、どんな御用ですか?」

「海」

「はぁ?海が見たいってこと?」

「済扶島(チェブド)」

「無理。明日、事務所で打ち合せ入ってるし」

「チッ。じゃ、適当に流して」

拗ねたように、窓の外に視線を向けた様子を見て、相手はため息をひとつつくと車を路肩に止めた。

「あ、ヒョン?俺です。明日の打ち合せ、時間ずらしてもらえませんか?出来れば夜にしてもらいたいんです。悩める子羊が…ハイ。ありがとうございます」

「誰が子羊だってんだ」

「あんたですよ。人の都合を無視して呼び出すときは大抵何かあるくせに」

「五月蝿い。何だよ、めかしこんじゃって。デートか?」

「聖書の勉強会のメンバーと食事に行く予定だったんですよ!」

「相変わらず色気のないこって…」

自分を優先してくれたことが嬉しいくせに、思わず憎まれ口を叩いた。

「女性とだよ…俺は、顔もいいし、歌も上手い。スタイルだっていいからもてるんだよ。しかも親が社長だしね。自分から寄ってくる人もいれば、色んな人の紹介もあるんだよ。俺がもてることを姫が認めないだけ」

「…車止めろ。悪かったな!我がまま言ってよ。今から女と会って飯食ってくりゃいいじゃねーか」

「すぐ、拗ねる…。あのね、モテモテの俺の最大の弱点は、姫をキライになれないことなんだよ。悔しいことに!だから、どうぞお気になさらずに好きなだけ我がまま言ってください」

そう言うと、むくれたヒチョルの顔をそっと撫でて笑った。その笑顔があまりにも優しくて切なくて、いつも自分の感情に任せ、振り回していることに罪悪を感じる。

「何だよ、それ。振られても俺のせいにすんなよ」

気持ちとは裏腹に憎まれ口を聞いてしまう、自分自身を殴りたくなってしまうが、こればかりは中々直すことが出来ず、心の中で自分に舌をうつ。

「俺の気持ち知ってるくせに、そんなこと言うの?まぁ、いいけど。さぁ、お姫様、チェブドに行きましょうか」

「…海の道を、渡りたい」

「干潮の時間が分かんないな…うしろに俺のモバイルあるから調べてくれる?」

「やだ、酔う」

「分かった、後でフュゲソに入ったら俺が調べるけど、時間あわなくても怒らないでね」

「俺はそこまで横暴じゃねぇ!…ただ、今だけソウルから離れたい」

「今から行ったら泊まりになるの、分かってる?」

「だから、お前なんだろ」

「…代打もいいとこだけどね」

運転席に座った男がぼそりと呟いた台詞は、助手席まで届かず闇に融けていった。

フュゲソで遅い夕食を食べ、モバイルを開く。

「あ、姫。干潮に間に合うか微妙だ」

「ここで、姫って言うな!…いいよ、それでも。どっちにしろ、もう少ししたらモーテルに入るだろ」

「うん、あと1時間くらい走ったら綺麗なモーテルがあるみたいだから、そこに泊まろう。俺、飲み物かってくる、姫…じゃなくて、ヒョンは車戻ってて」

「俺も行く」

「いいから、車で待ってて」

急に強い口調で言われ、戸惑いを隠せずに見あげると困った顔をしていた。一瞬、天井を見上げると自分より少し背の小さいヒチョルの耳元に口を近づけ囁いた。

「避妊具買うところ見たいの?イイコだから車に戻って」

―ここ、売店のおじさんに声かけると奥から出してきてくれるんだって。

遅いとはいえ、結構込んでいる店内で聞く話ではなかった。気の強そうな顔が瞬時に赤く染まり俯く。

ふたりの脇を子どもが歓声を上げて走っていった。

渋々と車に戻る。

(なんだよ。俺の方が年上なのに!アイツに教えたのは俺なのに!!)

「なに、百面相?」

「この助平野郎!」

いきなり携帯を投げつけられ、目が点になる。

「いきなり何?」

「いっつもゴム携帯してるくせに、何で今日に限ってないんだよ!」

それからも、ぎゃあぎゃあと騒ぎたてる様子を見て、男はホンの少しだけ嬉しくなった。

「妬いてるの?」

「クリスチャンなくせに、ヤることヤってンのが気にくわねぇ!」

「否定はしないよ。肉欲を解消するためのパートナーがいるのは。俺から呼び出すことは滅多にないけど、ね。彼女を抱くことで彼女の罪も受け止める覚悟もしてる、何より彼女より罪深いのは俺でしょ?」

当たり前のように話す相手を見てヒチョルは思う。

(違う、お前より罪深いのは俺だ。お前に甘えてる俺こそが…)

「ごめん。辛気臭くさせちゃった。でも、コマウォヨ。少しでも嫉妬してくれてるのが分かって、嬉しいよ。姫の罪も俺が受け止めるから、泣かないで?」

「泣いてなんかねぇ!」

サングラスの端から零れてる涙を慌てて吹きながら否定する姿が愛しくてたまらない。彼が救われるまで、何度だって手を差し伸べ、尽くすだろう。と男は思った。

「そう?」

フュゲソの駐車場にも関わらず、男は泣き虫のヒチョルの額にキスをした。

「見られたら、どーすんだ?!」

「俺は構わないけど、まぁ、世間が五月蝿いね。でも大丈夫。誰も通ってない。姫はサングラスしてるし、俺だってメガネかけて髪型も普段と違うから」

―それに、姫珍しく無精ひげだし、みんな分かんないよ。

「無精ひげの男に姫って、おかしいだろ?」

「姫はどんな姿でも姫だよ」

モーテルのフロントに行くとさすがに身元がバレたが、サインと写真で買収し写真の公開はカムバック以降にしてくれるよう笑顔で頼む。

「ふーん、綺麗じゃん。でもダブルって何でだよ」

「今日はビジネスマンの泊まりが多くて、ここしか空いてないんだって」

「なぁ、ここからチェブドの海までどれくらい?」

「40分くらいかな」

「これから行こうぜ。どうせ道渡れないなら今行く」

「いいけど。ホントに手前までだよ。フェンスで閉まってるし」

案の定、海の道への入口はフェンスで遮られていた。待つ車もなく閑散とし、波の音と潮の香りだけがふたりを包んでいた。

「どっか探せば、海までいけるけど」

「ここでいい」

フェンスを握り締め、暗い海を見つめる様子は、完全に独りだった。

自分の仕事、家族、仲間。そんな関わりを一切捨てて、ただただ、独りだった。

メンバーにも愛され、周りの人にも十分に愛されているのに、愛されたいと願う人の愛が得られない悲しみ。離れたくても、離れられない環境に10年もいて、もう、諦めたと笑うくせに、その瞳はずっと同じ人物だけを見つめていた。

こんなにも愛されているのに。適わない想いを抱え泣く人。

彼の心に空いた穴を埋めることは出来ないかもしれない。けれど、すぐ壊れてもいいから穴を覆ってあげたい。壊れた壁はいくらでも俺が補修するから、傍にいさせて。

祈るように、男はフェンスにしがみついてる体に寄り添った。

これ以上、闇に呑み込まれてはいけない。落ちるなら一緒に。そんな想いを込めて、手を重ねた。

「姫、もう帰ろう?風邪ひくよ」

「…ん。あぁ、そうだな。お前、暖かいな…ん」

見あげてきた顔に近づき、唇を奪う。

咥内までも冷たい。

自分の熱が伝わるように舌を交わすと、徐々に体温が上がるのを感じ、唇を離した。

「戻ろう」

手をひくと、大人しくついてくるのが愛しくてたまらなかった。

「先にシャワー浴びて。ゆっくりでいいから体温めてきて」

「お前は?」

「俺のことはいいから。姫より着てるし、後で温まるから」

シャワーの音が聞えると、ベッドの脇に跪き、身に付けているクロスを取り出し祈りを捧げた。

ただ、彼の幸せを。笑顔を祈った。●●
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