die Hundert Gedichte

□2・春過ぎて…
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春過ぎて… 798年4月


立て続けに4回、勢いよくくしゃみをしたバイエルラインに厳しい視線が向けられる。
「…風邪ですか?」
副司令官の刺々しい口調は耳に痛い。体調管理をおざなりにする事をレマーは何より嫌っている。
それに心配を通り越すと、どうしても相手に対して攻撃的な物言いになるものかもしれない。
「薄着でうろうろなさっていたんじゃないでしょうね?」
「昨日は暖かかったから…」
いがらっぽい声で反論したのをバイエルラインはいいおわる前に後悔した。
体ごとむきなおったレマーは笑顔だったが、全く目が笑っていない。
「何のための気象予報ですか?何のための気温データですか?何のための外套ですか?」
クレッシェンドしてゆく口早い言葉は最早バイエルラインに口を挟む余地さえ与えない。
もうこの時には表情も笑顔ではなくなっていた。
「馬鹿は風邪をひかないんじゃないんです。自己管理できない馬鹿が風邪をひくんですよ!」
滞ることのない滑らかな小言は、これまでに何度も耳にしているものだ。
バリエーションも多い。それだけバイエルラインの失態が多いというだけの話ではある。
遅まきながら、バイエルラインは無条件降伏を決めた。
「………ごめんなさい」
素直に謝ることができるのはバイエルラインの美徳だ。だがはじめからちゃんと反省していれば、こんなに叱られなくて済んだはずだ。
そのあたりにまだ気がついていないものだから、ロイエンタール上級大将に青二才呼ばわりされるのもいたし方ない。
「…以後気をつけます」
うなだれて猛省するのを見てレマーもくどくどしく小言を言い募ることは止めた。
後に続く言葉を嚥下し、レマーは眉間にしわを寄せながらも室内の温度と湿度を上げた。
普段から、過保護だとドロイゼンあたりが揶揄するが、レマー自身あまり気にしてはいない。言いたい人間には言わせておけばいいのだ。
自分は副司令官として司令官を補佐するだけのことだ。それ以外は考える必要はないはずだった。
「風邪は万病のもとですからね。くれぐれもお気をつけてください」
口調を幾分か優しくしてレマーはいう。バイエルラインは調子よく頷いた。
「熱はありませんか?」
「無かったら死んでるよ」
調子に乗って減らず口を叩くという愚行は、レマーの冷たい視線と無言の抗議を受け、たちまちバイエルラインは後悔する羽目に陥った。
「いえ!少し平熱より高いです!」
「………食欲は?」
「普通にあります!」
どちらが上官が判らない質疑応答に、周囲から苦笑が漏れ聞こえる。
「では昼食のあとで風邪薬を飲んで、しっかり水分を摂って、安静になさって下さい」
まるで子供にでも言い聞かせるようにレマーはいう。
元来、ここまで心配性ではなかったはずだが、上官の年若さと無邪気さがレマーに年に似合わない口喧しさを身につけさせていた。
「何事も、ご自身を過信なさらないようにして下さい」
戦場でなくともレマーの心配は尽きない。
まして戦場に於いてをや。天寿を全うさせることを保証できないが、自分より先に死なせるつもりはレマーには毛頭なかった。
口煩く思われても注意喚起を怠るわけにはいかない。
「ご理解頂けましたか?」
「はい!」
ぴしりと敬礼を返したものの、また盛大にくしゃみを連発する。
こうなればレマーも説教どころではなく、ミッターマイヤー上級大将に連絡を入れ、医務室にバイエルラインを連れていく算段をつける。
「…初めから素直にしていればレマーも小言を並べずにすむだろうに」
ビューローは小言を言う方の苦労を労うようにバイエルラインにやんわりと睨むような視線を送る。
「バイエルラインのお守りは大変だ」
ジンツァーもくつくつ笑いながらそれに応じて言葉を続ける。
「レマーでなくては勤まらないだろう」
その暖かくからかうような声はレマーの背中にも届いていた。
赤面を覚える反面、どことなく誇らしい気持ちになるのは否めなかった。
春と夏との境目は明確には判らない。
窓の外の風はまだ冷たいが春の日射しが溢れていた。

ENDE

2 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山 持統天皇
 

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