die Hundert Gedichte

□3・ひとりかも寝む
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ひとりかも寝む 802年6月


「だから!!」
軍靴で床を踏みならし、ビッテンフェルトは参謀長の言葉を遮った。
「俺を好きな女じゃなくて、俺が好きな女がいいんだ」
ビッテンフェルトにしては珍しく頑張って理論的に参謀長に立ち向かったというのに。
「…詭弁ですな」
ばっさりとグレーブナー参謀長に冷たい口調で切り捨てられてしまい、それ以上の言葉を封じられた。
「そんな悠長なことをいっている場合ですか」
眼光鋭くグレーブナーは切り返す。
「先帝陛下の喪も、もうあけるというのに」
要するに、早いところ身を固めろ、というだけの事なのだ。グレーブナーは言葉を尽くし時間をかけて、くどくど延々とかきくどいている。
1人、また1人逃げるように退室していった部屋にはグレーブナーとビッテンフェルトしか残っていない。
それから一言もビッテンフェルトが口を挟めないまま10分も参謀長の具申が続いた頃だった。
ノックの音がして、ビッテンフェルトの返事も待たずにミュラーが顔を覗かせた。
「よろしいですか?」
穏やかに切りだされると、さすがにグレーブナーも口をつぐまざるを得ない。
「私事で恐縮ですが、提督にご相談にのっていただきたい事がありまして…」
ミュラーの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ビッテンフェルトはグレーブナーが止める暇も与えずミュラーと連れ立って部屋を飛び出した。
帝国元帥ともあろう方々が、と1人取り残されたグレーブナーは開けっ放しのドアを眺めやった。
一心不乱に遁走する様子は耳を澄まさなくても聞こえていた。
肩を竦めて口の中に言葉の続きを凍結する。
いつでも簡単に解凍できる部類だったから、追いかける真似はしなかった。
「………だが俺に相談などと卿も物好きだな」
随分な距離を走って、後ろを振り返りグレーブナーの声と姿がないのを確認してからビッテンフェルトは足を止めた。
「……………」
ずっと無言を保ったままのミュラーに不審を抱きビッテンフェルトが怪訝な声で問い返す。
「ミュラー?」
「…嘘ですよ」
声をたてないでミュラーは笑った。
「提督が絶体絶命の危機だとお見受けしましたので」
お節介とは思いながらも脱出の糸口をつけたしだいです、と口元を緩める。
「助かった!恩に着る!」
ミュラーの両手をとって大袈裟に謝意を示す。
「お役にたててなによりです」
ぶんぶんと腕といわず身体ごと振り回されながらミュラーは丁寧に応じて改めて笑った。
「…グレーブナー参謀長に悪気はないんですよ」
「あってたまるか」
件の如く吐き捨てるようにいうのだが、不思議とミュラーは腹立ちを覚えなかった。どうも憎めない人柄なのだ。
「最近特に口煩くなった。オイゲンもグレーブナーの説教が始まったら助けてはくれないしな」
副参謀長という立場上、オイゲンも表立ってビッテンフェルトを庇うわけにはいかないだろう。
「仕方ありませんよ」
旧帝国の時分ほど頻繁ではないにしろ、晩餐会もないわけではない。
そういうものに極端にビッテンフェルトの出席率は悪い。積極的に人と関わろうとしないのはミュラーもかなり前から気がついていた。
「…グレーブナー参謀長もオイゲン副参謀長も、提督を心配されているのですよ」
そんな事言われなくても判っている!と噛みつくように返されるのは想定内だったから、笑みを崩さずに話を転じる。
「…そんな気にならないのは私も同じですから、とやかく言えませんけど…」
矛先を変えるだけで、矛を収めるつもりはなかった。
こんな機会でもなければ、正面きって話す話題ではないからミュラーも機を逃す訳にはいかない。
「…機会があれば、ケスラー憲兵総監の顰みに倣いたいものですがね」
憲兵総監の年若い恋人の存在が明らかになったのはごく最近の事だが、1年も前から皇太后の力添えもあって付き合いがあったという方が諸将を驚愕させたばかりだ。
「………卿、以外と人が悪いな」
ミュラーの声音にからかうようなニュアンスを嗅ぎとってビッテンフェルトはそういい眉を寄せた。
「私はビッテンフェルト提督ほど人がよくないのは確かです」
砂色の瞳に少し自嘲的な色を見せてミュラーは笑う。
「運もあるのでしょうけど…」
「…運なら使い果たしているだろうよ」
ビッテンフェルトらしくない深いため息が続いた。
「…今も悪運強く生きているではないか」
ほろ苦い声で言うのを最後まで言わせなかった。
「私はグレーブナー参謀長ほどは心配していませんよ」
声音を明るくしてビッテンフェルトのお株を奪うように、ばしばしとその背中を叩く。
「提督は一旦思いついたらそれこそ、その日のうちに挙式までしかねない方ですから」
「………」
思い当たる節があるのか、咄嗟に悪態もつけず、ビッテンフェルトは不器用に黙り込む。
痛む背中は別にして、まずどこからどう腹をたてていいか判らない。
そもそも腹をたてる必要がなかったのではないかと思うに至る。
単純な思考回路だと笑いたければ笑いとばせばいい。本来の調子を取り戻してビッテンフェルトは攻勢に転じた。
「…そういう卿こそどうなんだ」
「私は提督より三歳も若いのですから、まだ猶予期間が残っていますよ」
都合のよい言い訳をしれっと口にして涼しい顔をした。
流石にこの言い種には腹が立ったが可笑しさの方が増した。
「それは詭弁だぞ」
「それはまた便利な言葉ですね」
隙のない言葉と余裕をもった笑みをもって返され、ビッテンフェルトは進退窮まる。
虎から逃げ出せたと思っていたのに、狼にとっ捕まってしまった。
「…卿、人が悪くなったな」
ぽつりと呟いたのは敗北宣言だったかも知れない。
「…もうそれ以上はいわんでくれ」
喪があけたら物事を前向き考える努力をする、ときっぱり言ったものの、うまく乗せられたと感じるのは致し方ない。
満足気なミュラーの顔を見て、ビッテンフェルトは悔しげに鼻を鳴らした。


ENDE

3 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む 柿本人麿
 

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