die Hundert Gedichte

□4・雪はふりつつ
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4・雪は降りつつ 799年1月


勢いよく開け放たれた窓から冷たい風が吹き荒れた。
「雪ですよ!提督!」
はしゃぎ気味に報告する副官にファーレンハイトは怒鳴りかえす。
「判ったから早く窓を閉めろ!!」
風の冷たさよりも上官の剣幕に肩をすくめ、ザンデルスは慌てて窓を閉めた。
閉めながらも従卒を呼びつけ、急いでやってきた少年と2人でまた歓声を上げている。
「………そんなに嬉しいものか?」
「はい!」
振り返る従卒も目を輝かせていた。
「雪合戦しなくちゃいけない気がしませんか?」
声変わり前の高い声が更に高く響く。
「………俺はしない」
満面の笑みを向ける2人の気分に水をささないように気をつけて、言葉を極力省いてファーレンハイトは言った。
「このままのペースだと充分積もりますね」
「宣戦布告されるまえに手配しないといけないなぁ」
「僕、お手伝いします」
その配慮は効果があったとみえた。楽しそうな2人をみているうちにファーレンハイトは微苦笑を覚えた。
思い出すのは忘れていたからだ。
思い出さないのは忘れてもいないからだということに思い至る。
犬の仔のように何が楽しいのかもわからないのに、跳ね回ったのは随分と遠いことだと気がつかされた。
そんな上官の感慨など斟酌しないで、ザンデルスはにこやかに進言する。
「提督も参加して下さいませんか?」
ビッテンフェルト提督はこういう時には必ず来られますよ、という副官に何をかいわんやといった顔でファーレンハイトは眺めた。
「…俺は遠慮しておく」
冷めた声音に気がついたザンデルスは食い下がらず、そうですか、と簡単に引き下がった。
「…じゃあ、ホフマイスター少将にお願いしよう」
従卒にだけ聞こえるように言う。
言ったつもりだったが、ファーレンハイトの耳にもちゃんと届いていたのは大きな誤算だった。
一瞬怪訝な顔になりかけたが、続く言葉を飲み込み表情を戻す。
「………ザンデルス」
「はい?」
何食わぬ顔で振り返るあたり可愛げがなかった。
いつまでたっても士官学校生のような印象が拭えないのも童顔の為だけではないだろう。
「…中に小石入れるのは反則だぞ」
「………わかってますよ」
短い間で悪企みは露呈してしまった。このあたりから傍に控える参謀長の視線も厳しくなってきている。
それに気がついていたのだが、ファーレンハイトも忘れかけていた悪戯心を抑えきれなかった。
真面目な顔を装い、重々しく言う。
「…だがな。中身が氷だとばれない上、効果は同じだ」
短い沈黙が流れ、司令官が人の悪い笑みを副官に向ける。
ぽん、と嬉しそうに手を打つザンデルスの頭をすかさず参謀長がはたいた。
「少佐!!」
不意を突かれたのと、わりと本気で叩いたらしく、副官は頭を抑えてしゃがみこむ。
「提督も余計な入れ知恵なさらないで下さい!!」
ブクステフーデ参謀長の叱責にファーレンハイトも首をすくめた。
「だ、大丈夫ですか?少佐?」
副官の横で従卒がおろおろしている。大丈夫、と手で従卒を制して、叩かれた頭をさすりながらもザンデルスは立ち上がり口を尖らせる。
「大丈夫ですよ、参謀長どの。ばれないように極力気をつけますから」
ここで止めておけばいいのだが…とファーレンハイトが心配するのも無理はない。彼の副官は余計な一言を付け足すきらいがある。
神妙な面持ちを…わざとらしいものを作ってザンデルスは続けた。
「小官はそういう努力は惜しみません」
「ザンデルス少佐!!」
ただならぬ参謀長の剣幕に素早く副官が逃げ、従卒が庇うように両手を広げて参謀長の前に立ちふさがる。
ブクステフーデも少年の行動に驚いたものの、このまま副官の発言を許すつもりはない。ザンデルスを追いかけるべく、従卒を押し退ける。押し退けられた従卒はバランスを崩して司令官の側でへたりこんだ。
誰を叱ればこの場をうまくおさめることかできるのか、咄嗟に判断しかねた。
なにをやっていやがる、と思った途端、ファーレンハイトの口から笑い声が漏れた。
掴み合い寸前のブクステフーデとザンデルスが顔を見合せた。
ただ、従卒だけが緊張した顔を崩していない。
立ち上がらせて膝の埃を払ってやってもまだ深い青色の瞳は瞬きもしなかった。
逆に司令官の行いが少年を緊張させていたのだが、そのことにファーレンハイトだけが気がついていない。
「…こちらが考えることは相手も考えているものだからな。用心に越したことはないぞ」
釘をさす口調は柔らかく、優しいものになっていた。
「怪我しないように注意しろよ」
ファーレンハイトは右手を伸ばして乱れた従卒の髪を撫でてやる。
その頃には参謀長から逃れたザンデルスも傍らにまで戻ってきていた。
自ら引き起こした茶番劇に対して、やや決まり悪そうな顔をしている。
それで充分だ。これ以上は言葉を費やす事はない。
従卒をザンデルスの方に押し遣る。
「…風邪をひかないよう暖かく準備して臨め」
「はい!」
異口同音に見事なユニゾンで副官と従卒はいった。
「よし、準備に励め」
無罪放免を勝ち取った2人は次の行動に移るのは早かった。
早足で退室したあと、猛ダッシュで駆け出す様子がドアの向こうから聞こえてくる。
司令官が容認した以上はブクステフーデも追いかけてまで叱りとばすわけにはいかない。
くすぶる怒りの矛先は司令官に向かった。
「…本当によろしいのですか?提督、止めなくて」
「雪玉がぶつかって、死人が出るもんじゃないだろう」
そうあっさりと言われるとブクステフーデは言葉に詰まる。
「…まぁ、そうでしょうけど…」
フェザーンまで来てなにを…と言いたげだったが参謀長も先ほどまでの勢いを削がれてしまっていた。
「…怪我さえしなければいいさ。寧ろ健全でいいじゃないか」
窓の外を眺めてファーレンハイトは言う。
「雪玉の投げ合いがなにかの弾みで大乱闘に発展したら…」
参謀長の心配は尽きないらしく、繰り言はまた続く気配を見せた。
「黒色槍騎兵の連中は戦意過多です。できるなら相手にしたくないではありませんか…」
「心配なら参謀長が監督してやればいいだろう」
「…なんでそうなりますか、司令官閣下?」
論点をずらされた事にブクステフーデは騙されなかった。
「それでも心配なら、俺も顔を出そう。うちの奴らも大人しい連中ではないから心配はいらないとおもうがな…」
どういう妥協案ですか、とブクステフーデが苦笑いをするに及ぶのを見てファーレンハイトも表情を崩す。
「楽しめるうちに楽しむがいいさ…」
途中で独りごちるのさえやめてしまい、じっと窓の外を見つめる。
これが最後の休暇になるかもしれないのだ。
自分が悪のりした分、参謀長が余分に憎まれ役をかってくれた事に気がつかないわけはない。
微かな音をたてて雪は積もりはじめていた。
過去も未来も包み込むように。
静かに、何もかも分け隔てなく。



ENDE

4・田子の浦に うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ
 

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