die Hundert Gedichte

□6・夜ぞふけにける
1ページ/1ページ

6・夜ぞふけにける 798年7月7日


「………提督?!」
副官のハウフが自分では控えめだと思っているつもりの声量で呼びかける。
ソファに深く身を沈めていたワーレンは身じろぎした。
「…あ、もしかしておやすみでいらっしゃいましたか!?」
通りのよいはっきりした声なものだから、本当に眠っていたらばっちり覚醒していただろうな、とワーレンは苦笑いせざるを得ない。
司令官の苦笑の気配を察知し、ハウフはかなり焦る。
頭ごなしに叱りつけられるよりも、仕方のない奴だ、と苦笑いされるほうが心身共に堪えることをハウフは副官を拝命して初めて知った。
「いや…起きていた」
ぎりぎり失態にはならなかったと判ると副官は一瞬ほっとした顔になったが、すぐに緊張を漲らせた。
「ではご気分がよくないので?!」
すっとんきょうな声をあげる。さほど多くはないが周囲の視線を集めるには充分なものだった。
「いや………」
愚直と紙一重の率直さはたまにこういう事態を引き起こす。
「…具合は悪くないから、あたふたするな」
やや声音を潜めて厳しくいうと、ハウフは動きを止めた。
彼の副官は頭で思うよりも先に行動に出るタイプだ。無論打てば響く明朗な頭脳も持ち合わせている。
思考は単純明快で、表裏一体。人の良さはワーレンが知る限り5指に入る。短慮ではないが熟慮はできないのは配属されて30分で判明していた。
今だって、ワーレンの対応が遅れていたら医師を呼ぶ騒ぎになっていたに違いない。
「本当に大丈夫ですか?」
なおもおろおろして食い下がる様子にたまらずワーレンは笑いだす。これではまるで3歳になる愛息とさほど変わらないリアクションだ。
「落ち着け、ハウフ。少し考え事をしていただけだ」
狼狽する副官に向かいに座るように命じた。決して大きな声ではないのだが、ワーレンの下命は即座に人を従わせる力がある。
ハウフは慌てて従った。ただし、瞳はきょときょとと落ち着きがないままだ。
談話室から2人の他に誰もいなくなったのを確認して、ワーレンは呟くように言った。
「…まさか皇帝が誘拐されるとはなぁ」
憮然とした口調は溜め息にかわる。
それも故意的に誘拐されてしまった。無論、ワーレンはそこまでは言わない。
まだこの事はごく一部の人間しか知らない案件だ。
そのため夜更けに大将、上級大将以上の階級をもつ者らが元帥府に急遽集められたのだ。
すでに警護の不備の責を負ってモルト中将が自殺したとの報告は諸将の耳にも入っている。ワーレンの口調が重苦しいのも仕方のないことだった。
そんな司令官の気を少しでも紛らわせようとハウフは明るく言いかけた。
「でも仕方ありません。皇帝たるものそれが…」
ノーブレスオブリージュだと言いさして口籠もる。途中であまりにも不毛すぎる事だとハウフは気がついた。
帝位は七歳の男の子が欲したものでは決してない。子供が欲しがる物など、せいぜいチョコレートや子犬や玩具ぐらいだろう。
エルウィン・ヨーゼフ二世は小さな体に僅かに含まれるルドルフ大帝の血のために玉座に座らされたに過ぎない。
ハウフはもごもごと続けようとしていた言葉を飲み込んだ。
「周りの大人の思惑で勝手に決められて至尊の位を戴いただけだからな…」
ワーレンも声量を絞り大きなため息を吐く。
「………可哀相に」
格別皇室に敬意を払っているわけではない。ただ七歳の幼児が、それも自分ではなにもできないように育てられた子供がいきなり連れ出され逃亡の道連れにされていると思うと、可哀想だけでは済まない気がしている。
良いも悪いも、玉座に在る限り生命の保証はされていた。
ローエングラム公は幼児殺しという不名誉な称号を後世には残さないだろう。
新無憂宮の中でだけ通用した幼帝への敬意だ。自由には責任が伴うことを、誘拐犯たちは知っているのだろうか。
「………提督」
ハウフは司令官の感慨とは別の考えに沈んでいたようだ。
立ち上がると辺りを見渡した。それだけでは飽き足らずドアを閉めカーテンも一度開けて閉めて確認する念の入りようだ。
「…どうした?」
ただならぬ様子にワーレンも腰を浮かしかける。
「………近いうちに、大規模な遠征がありますよね?」
ハウフも上官に倣い、これ以上ないぐらい潜めた声で確認をとる。
やればできるじゃないか、とワーレンはソファに座り直しながらこっそり思ったが重々しく言葉を続けた。
「…大義名分をこちらが得てしまった上はな」
皇帝誘拐の罪をフェザーンなり自由惑星同盟なりに問うことができれば、解決方法もおのずと絞られる。
必然的に、先だってのイゼルローン要塞戦と比べる迄もない規模の軍事作戦となるはずだ。
「大義名分、ですか」
自身を納得させるようにハウフは呟いた。しばらく考えを反芻させていたが、戸惑いを隠せない顔を司令官に向ける。
「なんだ?言いたい事があるならはっきり言え」
「それは、でも…」
生真面目な顔をしてぐずぐずと逆接の接続詞で続ける。
「…行動を起こすにあたって、理由をごてごてと大袈裟に飾りたてるだけですよね?伴う犠牲も、この際無視して」
戸惑いと憤り、それに諦めとが混ざった表情と声に、ワーレンはニの句が継げなかった。
訪れた沈黙はなかなか破られない。言いえて妙な副官の言葉は、核心をついていた。
ワーレンが褒めようか叱ろうか迷った分沈黙は長く続く。言い出した手前、頭ごなしに叱りつけることだけはできない。
「…俺の前ではいいが、余所でそういう物言いをするなよ」
やっとのことでそれだけ言うと、更に困った奴だと言わんばかりの苦笑でしめくくる。
「………すみません」
ハウフはしゅんとうなだれた。その様子も3歳の息子とあまり変わらなかった。
「…そんなに恐縮するな。お前の物言いは、ずけずけしていて面白い」
素直な称賛を口にし、先にワーレンが立ち上がった。副官についてくるよう無言で促す。
慌てて後を追いかけようとして、ハウフは思いきりソファの角に足をぶつけ蹲った。
気づかず司令官は部屋を出て後ろを振り返らずに説教をたれる。
「ただ時と場所を選んでくれ。クライバーあたりが目くじらをたてる事がないようにしてくれよ」
ワーレンの訓戒は虚しく廊下に響いていた。
それに気がつき部屋に戻るとまだ蹲ったままの副官と目が合った。弱々しい笑みと盛大にずれたソファの位置で何があったかはすぐに判る。
呆れたため息を1つ、ワーレンは大きく吐いた。
「………仕方のない奴だな」
言葉に出されるともっと受けるダメージが大きいことを思い知らされ、ハウフはそのまま激しく落ち込んだ。
窓の外の更けた夜はもう半ば明けかかっている。


ENDE


6 かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ