die Hundert Gedichte

□7・ふりさけみれば
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7・ふりさけみれば 798年1月


ヒューベリオンの艦橋で、ベルンハルト・フォン・シュナイダーは足を止める。
ゆっくりと振り返り、スクリーン越しの空間を見つめなおした。
浮かびあがるように見える、イゼルローン要塞が泰然とした風体でそこにある。
幸い、シュナイダーはイゼルローン要塞を攻略する側にいたためしがない。難攻不落の要塞と敵対しないというのは、少しばかり運がよい方かもしれなかった。
視界に入る宇宙空間は漆黒には程遠い。人の手が加わりすぎたためかひどく薄っぺらな闇だった。
そんなシュナイダーの様子が感慨深いものに映ったらしく、メルカッツも足を止めしわがれた声で下問する。
「熱心に何をみている?少佐」
不意をつかれシュナイダーは咄嗟に返事ができない。亡命に伴い降格し、シュナイダーは今大尉の位だが、メルカッツは口に馴染んだ呼び方でたいてい彼を呼ぶ。
「…いえ、これといったものではないのですけど」
言い淀むほどの理由がないため、シュナイダーは口籠もった。しかしメルカッツは無言のままだが、続きを促している。
「…以前、わたしはイゼルローンに赴任していたことがありまして…」
「懐かしいかね」
「いえ、懐かしいというよりは…」
選ぶ言葉がなさすぎるというのは、なかなか困った状況を引き起こすものだった。仕方がないので素直に口にする他ない。
「………同じ風景が、陣営が変るとまったく変わったものになるような気がしたものですから」
その陣営を上官に変えさせたのは他ならぬシュナイダーだ。とりようによっては「お前がいうな」と言われかねないから、口にしたくなかったのかもしれない。
「まぁ、気のせいでしょうけど…」
進退極まったあげく口にした結論はひどく他人事めいたものになった。
敵の味方は敵だが、味方の味方が敵であることもある。敵の敵は味方だろうけれども、味方の敵は…と考えてたところで頭の中が混乱しそうになりシュナイダーは思考を停止させた。
一度深呼吸をして考えを整理する。とりあえず臭いものに蓋をする、といったやり方だが即効性は抜群だ。
シュナイダーは表情に取ってつけた快闊さを加えた。
「つまらぬことを申し上げました。お忘れ下さったら幸いです」
メルカッツは忠実な副官に真面目くさった顔を向ける。
「…それにしても。卿は軍人になってよかったのかもしれん」
「???」
唐突な上官の言葉にシュナイダーは面食らう。
「あれほど人を騙すのが上手いとなると、下手をすれば詐欺師になっていたかもしれんだろうからな」
上官の言わんとしていることがあらかたわかり、シュナイダーは苦笑いをこっそり浮かべた。
ブラスターのエネルギーパックを抜いておいたと、はったりをかました事だ。
結果的にメルカッツの自決は未然に防がれ、自由惑星同盟への亡命に繋がった。
無論、本気でメルカッツがシュナイダーを責めているわけではないのは、はっきりしている。
痴呆の症状でも繰り言の愚痴でもない。
わかっているのはシュナイダーをからかっているという事だった。
不器用だが、沈みそうになるシュナイダーの心を救助する浮き輪のように思えた。
「…それは閣下の薫陶の賜物ですよ」
からかわれるばかりでは能がないので、慇懃無礼に言い返す。
眉一つ動かさないものの、メルカッツも内心面白がっているように見受けられる。
消去法で導いた決断は、いまのところ間違ってはいなかったとみえた。
…少なくとも、シュナイダーはそう思いたかった。
「…閣下の部下になっていなければ、私も亡命など考えもつかなかったと思いますよ」
あんなくだらない内乱の責を負わされて処罰されるなど、耐えられることではなかった。
捲土重来などと大層な事をいったが、その実なにがなんでも上官にただ生きていて欲しかったのだ。
「では今日のところはよしとしておくか」
メルカッツが戈を納める形で舌戦は終結した。
この状況も決して居心地がいいと言いきれないが、少なくとも圧迫されるような感じはない。
自由、という言葉の意味を少しずつ理解しはじめていた。同量の責任の重さが伴うことを忘れてはいけないことも。
「…卿のおかげでしなくていい苦労を背負うはめにはなったがな」
責めるようには響かない。寧ろ楽しそうにメルカッツは独りごつ。
「なんなりとお申しつけください」
それに応じ、明るく能天気に聞こえるようにシュナイダーは言う。
「…閣下の為なら、私は犬馬の労をとることも厭いません」
功を奏し、軽々しい口調の真摯な言葉は低く、くぐもった短い笑い声で報われた。
それで充分だ。シュナイダーは視線を落として微苦笑する。
メルカッツが艦橋を出てゆくのが視界の端に映りこむ。
過去を思う余裕がないのが救いといえば救いだった。
今は目の前の現実を処理するのに、思いきり手がかかっている。
上官の後を追いかける前にシュナイダーはもう一度振り返った。
スクリーンの中の虚空の宇宙には、未来も過去も同時に存在していた。


ENDE


7・天の原 振りさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
 

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