die Hundert Gedichte

□11・人には告げよ
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11・人には告げよ 800年2月


最近、ゲルンハウゼンは目に見えて明るく楽しそうに職務にあたっている。
沈黙提督の異名をとるエルンスト・フォン・アイゼナッハの従卒は軍務尚書の従卒に匹敵する緊張感と強い精神力を必要とされる。
そのため、従卒が長続きしないのが副官の、しいては司令部全体の悩みの種だった。
配属された生徒は皆、なにかしら理由をつけて学校へ帰りたがる。
一個艦隊の司令官の副官となれば責務は増え、これまでのように「通訳」と揶揄されるグリースが何から何まで世話を焼くわけにはいかない。
無理を言って、一番気働きのよい子を優先的に配属してもらっているのだが、よくて3ヶ月、ひどいと2日で逃げ帰るていたらくだ。
それ故に、目下在職日を日々記録更新中のゲルンハウゼンは司令部の期待を一身に背負っている。
一度大失敗をしでかして以来…本人が言うところの2杯のコーヒー事件…これといった失態はなく、日が経つにつれ表情も晴れやかに職務に当たっているようにグリースの目にも映っていた。
のんびりおっとりしているようで機転がきき、気が小さいようで泰然自若とした、一見矛盾した気質をバランスよく備えている。
「これでよろしいでしょうか?」
従卒がそういい添える事を覚えた事により、司令官に不便な思いをさせることが少なくなったのは傍で見ていて感心した。
従卒の行動が正しければ、1、2秒の間顔を見る。
間違った事をしていたら、その時間が5秒ほどに延びる。
司令官の合図や意図が判ったあたりから仕事がやりやすく、尚且つ楽しくなってきたらしい。
もともと朗らかで明るい性格…よくも悪くもいいところのお坊っちゃん育ちなものだから、物事を良い方向で捉えることが得意なのかもしれなかった。
今も機嫌よく、鼻歌のレベルを通り越した声で歓喜の歌の一節を口にしながら艦橋から戻ってきている。
誰もいない、と思っているものだから、ついつい気持ち良くクライマックスに向けてクレッシェンドをかけていった。
「ご機嫌ですね。ゲルンハウゼン」
背後から突然、副官に声をかけられ、飛び上がるほどびっくりしたというのに、ゲルンハウゼンの口はまだ歌い続けていた。
とりあえず切りのいいところまでテンポを速めて歌いきり敬礼をする。
そんなマイペースな対応にグリースは柔らかく微笑んだ。
「歌、上手ですね」
ありがとうございます、といえばいいのか黙って恐縮すればいいのか判らなくなり、ゲルンハウゼンは頬をようやく紅潮させて口籠もる。
「声がとてもいいですね。素直で癖がない。いい歌い手になりますよ。ゲルンハウゼンは」
グリースは普段から従卒にまで丁寧な口調と言葉で接する。司令官の命令を伝達するときだけは、きっぱりとした命令形を口にするが、普段は物腰が柔らかすぎるほど柔らかい。
誉め言葉に照れながらも、ゲルンハウゼンは素直に礼を述べた。
「…身に余るお言葉です。少佐」
「どうですか?仕事は。続きそうですか?」
「はい!」
勢いよく即答してすぐさま言葉を継ぐ。
「僕でよろしければ、卒業まで務めたいと思ってます」
グリースは瞬きを2度して、確認した。
「それは本当ですか?」
「はい」
ゲルンハウゼンはきっぱり言い切って、どこからくるものなのか判らないが、自信に満ちた顔で続けた。
「もちろん士官学校に合格できるように、ちゃんと勉強もがんばります」
「………本当ですね?」
今度は確認のニュアンスで発音された。答えは満面の笑みで返された。それを見てグリースは安堵の表情をじわりと浮かべた。
「…それを聞いて安心しました」
その心底ほっとした口調が何故かゲルンハウゼンに不安を与えた。内臓にさっと冷水を浴びせられたような、我に返るような嫌な感覚だった。
「あと…6年、ですか」
ゲルンハウゼンの不安など気にもかけず、副官は幼年学校の残りと士官学校の在学年数を指おり数えて確認する。その手を見ているうちに言い様のない不安は増幅していく。
無論、自分を見つめる視線が震えを帯びていることに、グリースが気がつかないわけがない。
「…どうかしましたか?ゲルンハウゼン?」
「少佐、どこかお体の具合でも」
悪いのですか?と言葉でなく瞠った瞳で訴える。
不吉な言葉はなるべく口にしたくない。そう考えるのも致し方ない状況が能天気な性質の少年を慎重に、臆病にさせていた。
「いいえ?どこも悪いところなどありませんが…」
言い終えるまでにグリースはゲルンハウゼンの抱いた懸念に気がついた。
「…ああ、誤解させてしまったようですね」
穏やかにいい、不安気な顔をした少年の肩に手を置いた。
「心身ともに健康ですから。ご心配なく」
「…本当ですか?」
ゲルンハウゼンは懐疑的な声音で訊きかえす。
「君に嘘をついてどうします?」
苦笑まじりに言うと少年は肺がからっぽになるぐらい大きな息を吐いた。
「………よかったぁ」
しぼり出した声は、まだ息の割合の方が多かった。
「僕、少佐に何かあったのかと思いましたよ」
寄せた眉をなかなか解けきれない顔をグリースに向けて、それでも微笑もうと努力していた。
気配や表情から理解する力が備わっている上、少ない情報から推測する力も少年は並外れて持ち合わせているようだ。
「今、改めて思いましたよ」
2度ほど頷き、グリースは嬉しそうに続ける。
「本当に君は相手を思いやる気持ちが豊富でふんだんですね」
咄嗟に自分への潤沢な誉め言葉だと気がつかず、ゲルンハウゼンの目が点になる。
「優しい気質も人並はずれています。それに君はとても聡明です」
連なり続ける賛辞に頬といわず耳も首も赤く染めて、ゲルンハウゼンはただひたすら恐縮して顔を伏せる。
「…君と違って、私なんか勘が少しばかりいいだけですよ」
そのままフリーズしてしまった従卒の肩をぽんぽんと叩いた。
「試験問題を当てたり、夕食のメニューをデザートまで当てることができるというレベルですからね」
おずおずとまだ赤い顔を上げ、ゲルンハウゼンは物静かな副官の顔をまじまじと見つめた。
薄い灰色の瞳は鏡のようになんでも映している気がする。こちらの考えていることなど容易く読み取ってしまえるように見えた。
「………すごい事です」
実際に何度も目の当たりにしたことがあるだけに副官の言葉は謙遜しているようにしか思えない。
「便利に思われてもいましたが、薄気味悪がられる方が多かったですよ」
あまり良い思い出ばかりではないらしく、自嘲的な笑みがこぼれた。
「………本当に肝心なことは、何一つ判らないんですけどねぇ」
苦い口調でグリースは付け足した。
中途半端な予知能力は、誰にも信じてもらえない神託にも似て、何の役にもたたない。
明日の今この時間。生きているか判らないのは、誰しも同じ事だ。
「………でも」
少年はいつのまにかのんびりした普段の口調を取り戻し、逆説の相槌をうった。
「少佐は天職についていらっしゃいます」
しみじみと言い、少年は大きく1度頷いた。
「少佐がいらっしゃらなかったら大変です。この艦隊がそっくりそのまま宇宙の果てで迷子になってしまいます。絶対に」
自信と思いやりに満ちた声で迷いなく言い切る。相手の瞳をまっすぐ見るのは多大な勇気が必要なのだ。それを意識しないでやってのける、強靱な心の持ち主であることも、グリースは知る。
瞬きを繰り返して、グリースは従卒の顔を見た。
「…ありがとう、ゲルンハウゼン」
心からの礼を口にしながらも、グリースは別のことを考えていた。
この子もまた天職につくだろう。目を細めて視界を狭めた。
「………なにより嬉しい言葉です」
少年は、今、自分が感じている安堵をたくさんの人間に与える存在になるはずだ。
間違いなく、真摯な誠実さで、友人や同僚、家族に安心を与える存在になるに違いない。
照れてはにかむ様子は年齢よりもずっと幼いが、この4ヶ月の間にぐっと大人びたのに気がついた。
以前はもっとふっくらしていた頬から肉が落ち…その理由を今更のようにグリースは思い出した。
「ゲルンハウゼン。あれから胃の調子は順調ですか?」
「おかげさまで、もう大丈夫です」
「…もう悪くするまで頭を悩ませてはいけませんよ」
「はい。もうしたくないです」
過剰に分泌された胃液は胃や食道をひたひたと静かに焼く。
「2杯のコーヒー事件」以来、早めに対処してもらったとはいえ、胃潰瘍の一歩手前まで症状は進んでいた。
回復したものの、用心をとってきっかり2週間病人食で過ごすはめになった。
「これ幸いとばかりに君の間違いに便乗していましたからね………」
気まずいという言葉では済まされないほど、グリースの表情が陰った。
「君には本当に申し訳ないことをしました」
グリースは改めて深々と頭を下げる。
「いいんです。結果がよければ過程なんて」
少佐に頭を下げられるという前代未聞のことにゲルンハウゼンは半オクターブ上がった声で慌ててその動きを制した。
「今度から悩む前に少佐に相談いたしますから!」
辻褄があってないようなことを口にしている自覚はあった。だがそうとしかいいようがなく、自分でまずその可笑しさに気がつき、くすくすと少年は笑いだす。
「それに僕の胃壁も少し鍛えられたはずですから、決してマイナスな事柄ではありませんよ」
笑い飛ばす明るさを身につけ、ゲルンハウゼンは逞しく微笑んだ。
「終わりよければすべてよし、です。少佐」
「まだ始まったばかりでしょう」
グリースはやんわりと従卒の言葉を訂正した。
「まだ、始まったばかりですよ」
可能性の塊だ。選択肢はあまた有る。あり余り過ぎるほどだ。
望めば何にでもなれる。やり直しだって充分きく。
諦めを覚えるのはまだまだあとでいい年頃だ。それに伴う苦い後悔も徐々に知ることになるだろうが、とにもかくにもまだ始まったばかりだ。
グリースの声音が少し羨望を含んだことにゲルンハウゼンは気がついてはいないようだった。
艦橋の方で指を鳴らす音がした。
二度目が鳴り終わる前に従卒は身を翻す。
司令官閣下はどうやらウィスキーをご所望のようだ。
アイゼナッハはあまり古いウィスキーや極端に高価な銘柄は好まない。くせのない中庸の品を好む。
教えたつもりもないのだが、従卒はいつのまにかちゃんと観察し洞察し、記憶して行動に移れるようになっていた。
なにより感心したのは、きちんと準備している姿勢だ。
残されたトレイにはすぐコーヒーを淹れることができるようになっている。
いわれもしないのに…自分が嗜んだはずもないのに、手早く取り出したグラスは氷を入れたものと入れてないものの二種類。軟水のミネラルウォーターも添えている。
生き生きとした表情に負けない声をゲルンハウゼンは張り上げた。
「はぁい!ただいま!」
返事よりも動作の方が早いかもしれない。
失態を取り戻すかのように機敏に動く様子は微笑ましく映る。
「今参ります!」
トレイを捧げ持たんばかりに持ち、軽快な靴音と歓喜の歌の終節のハミングを残してゲルンハウゼンは艦橋に戻っていった。
途中で振り返りグリースに軽く会釈する。
その余裕は驕りでなく、「ご安心下さい」という従卒の心遣いだと副官に目に素直に映った。
足元に気をおつけなさい、とグリースのやんわりした注意の声が従卒の背を打った。



ENDE

11・わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海士の釣舟

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