小説N

□企画7
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旦那が突然ぶっ倒れた。
びっくり仰天する俺様や大将を前に、前かがみで口元を必死に押さえ、嘔吐をこらえるようにうめく旦那の姿に、俺様は一瞬動けなくなってしまったけれど、すぐに正気を取り戻して旦那の背をさする。
大将は俺様に続いて女中に旦那を部屋に連れて行くことと、医者を呼んでくることを言いつけると、ひょいと旦那を担ぎ上げた。

「旦那ッ、どうしたんだよ!」
「ッ…!ぅ、…ぶ…っ…!」
「今は状況を聞く暇などない!すぐに部屋へ向かうのじゃ!」
「…わかってるよ…ッ!」

どたどたと騒がしく足を動かし、廊下を駆ける俺様と大将の姿に、廊下を歩いていたものは飛びのいて中庭に落っこちたり、傍の障子に突っ込んで尻もちついているものまでいる。
けれどみんなそろって、大将の腕の中で、顔を真っ青にして身を強張らせる旦那の姿をみつけ、飛び起きて後をついてくるのだ。

ちらりとその姿を肩越しに見、そのあとに苦しそうな旦那の顔を見て、この人はやっぱり随分と慕われているんだなと頬を緩ませた。
今思うことじゃないかもしれないが、俺様はなんだかあまり危機感の感じないためにそんな暢気なことをポツリと思ってしまったのだろう。
普通ならば、旦那の指に針ひとつがちくりと刺さっただけで心臓が痛くなるというのに、逆に心のおくから温かなものが沸き起こるような、この幸せな感覚はなんだろう?
確かに、旦那の苦しんでいる表情は心臓に悪いが、なんだか大丈夫な気がした。

「旦那、もうすぐ部屋だから…!」
「…っん…!」

辛そうな旦那が漏らしたその声が、返事なのかうめき声なのかはわからなかったけれど、大将も俺と同じように旦那を励まして、もう一度旦那が唸ったのを聞いて、返事だったのだと少し安心した。





「…ふぅむ…」
「…なに、なんかわかったの?」
「佐助、そう急かすな。」

年老いた医者はあまり信用できない。
っていうか、こいつよりも正確な診断ができる自信が俺にはある。
なんだったら俺がみるのに…と眉をしかめる俺は、唸る医者に少し鋭くそう言えば、落ち着けと物語るような大将の声が聞こえ、とんと大きな手のひらが俺の肩を叩いた。

「…お館様、大変失礼かと思いますが、少々席をはずしてはいただけませんかの。」
「む?それは…どういうことかの?」
「つまり、そういうことにございます。」
「…まことか?」
「はい。」

不意に、大将と医者が意味深な会話を始める。
その意味を理解できなくて、もやもやする感情を胸の奥にくゆらせる俺に気づいた大将が、なぜかニヤニヤした顔をちらりとこちらに向け、ようやく医者にうなずいて見せた。

「なるほど承知。それではわしは席をはずそう。」
「ありがたく…」
「なに、このくらいしかしてやれなんだ。」

はっはっは、と楽しそうな笑い声に、俺様はますます小首をかしげる。
大将が、ばしりと俺様の背を叩き、にかっと明るく笑ったが、やっぱりわからなかった。

「…で?旦那はどうしたの?」
「ふふふ、随分とご機嫌斜めのようですな。猿飛殿。」
「当たり前でしょ。」

目の前で内緒話されちゃあ、忍びの名がすたるってね、と、眉間にしわを寄せ、上目ににらんでやるが、医者は少しも深いそうにすることなく、あごのたっぷりとしたひげをなでた。

「そう怒らず…内緒話などとんでもございませんよ。」
「なにそれ。教えてくれるわけ?」
「ええ。」
「…じゃあなにさ。」

どうせはぐらかすんだろう、と期待のこもらない瞳を医者に向ければ、医者は先ほどの大将の様な笑顔を浮かべ、嫌にもったいぶったようにゆっくりと口を開いた。

「猿飛様。」
「…なに。」
「おめでとうございます。」
「はあ?」
「ご懐妊にございます。」
「…誰が?」
「幸村様で。」
「…え゛?」
「うそは申しておりませんよ。」

にっこりと頬を緩める目の前の狸ジジイ。
俺は、ぽかんと口を開け、布団で眠る旦那の顔を見て、――熱くなる頬を隠すように口元に手を当てた。

「…マジ?」
「マジにございます。」
「…うっそ…どうしよ…」
「ほっほっほ。」
「すげぇ…うれしいんだけど。」

今、旦那の中には俺様と旦那の遺伝子の結晶があるんだ。
俺様と旦那の愛が命になったんだ。
そう考えると、頭の中が熱を持ち、胸の奥が一杯になった。やべ、俺なんかおなか一杯になってきた。
けれど、そんな感動とは逆に、一抹の不安も一緒に生まれる。
もし、もしだけど、もし、旦那が…。

「ん…」
「っ!旦那…起きた…?」
「…さすけ…」

とろけた瞳をゆっくり開き、眠そうな声で俺の名を呼ぶ旦那。
ジジイは気でも利かせているつもりなのか、「私はこれにて。」とか言いながら部屋を出て行った。
あああもう、どうすればいいんだよ!
さっきまで消えればいいとか思っていたけど、こういう状況ではすごくいてほしい。不本意だけど。
俺様の口からこんな繊細なこといえないよ!だからって、あんなのの口から旦那に教えてあげるのももったいない気もするけど!

ぐるぐるする思考をフルに活動させて、体を起こそうとする旦那の肩を押してまた布団に寝かせる。
もう大丈夫だと、文句を言う旦那の額をこづて黙らせた。

「ねえ佐助、さっきお医者さんと、何を話していたの?」
「っ!」
「なんか佐助の楽しそうな声が聞こえた…なんか楽しいこと?」
「…聞こえたの…」
「うん。」

へにゃり、と寝起きでまだまどろんでいる笑顔に、胸の奥がきゅんとうずく。
けれど、たずねられてどうはぐらかせばいいのかと、俺様はすごく困った。
えっと、うーんと、ああもうこういうときに頑張ってよ忍びの俺様!

「さすけ?」
「…っ、はあ、もー、わかったよ…」

結局、都合のいい話なんか思いつかず、ねだる旦那の瞳に耐え切れずにため息をつく。

一度深呼吸をし、そんな俺様の表情に不安そうな顔をする旦那の額をなでて、ゆっくりと口を開いた。

「…旦那、取り乱さずに落ち着いて聞いてね?」
「え、う、うん…?」
「あのね、…今、旦那のおなかに、赤ちゃんがいるんだってさ。」
「…へ?」

素っ頓狂な旦那の声。
拍子抜けした表情に、俺様は思わず眉根を下げて、頬を緩めた。

「俺様は旦那の意見を尊重するから。もし、旦那が嫌ならその赤ちゃんをおろしても…」
「っ、な、なにいって、んの!」
「!」

先ほどの不安を、そっと言ってみれば、旦那は少し震えた声で叫ぶように言う。
はっとして旦那のほうを見れば、怒鳴った所為で気持ちが悪く唸ったらしく、まだ青い顔をうつむかせて口元を抑えていた。
慌てて背をさする
けれど、その腕に手を乗せ、旦那は俺様の肩に頭を預けた。

「何でそんなこと言うの…!」
「え…」
「佐助は、赤ちゃん、嫌だ?」
「っそんなわけないだろ!」
「私だって、同じだよ!」
「ッ!」

半ば嗚咽のような、そんな声で旦那は言った。
少し震える旦那の肩を、俺はぎゅうっと、力の加減のできない自信を必死で抑えてそっと抱きしめる。
旦那の手が、すがりつくように俺の服をつかんだ。

「ふぇ…っ」
「…っごめん、旦那…、俺…不安で…っ」
「…わた、しも、私も、不安だった…」
「え…?」
「赤ちゃん、邪魔だって思われちゃうんじゃないかって…」
「…は、はは…」

旦那の言葉に、思わず笑みをこぼす。
ぐすりとすすり泣く旦那の可愛らしい嗚咽を聞きながら、俺はほんのりと甘くて暖かな感情に酔いしれた。

「おんなじだな。」
「…ん。」
「旦那。」
「…ん?」
「俺様、旦那のことも、赤ちゃんのことも、守ってあげるからね。」
「…私も、佐助と赤ちゃん、守ってあげる…」
「ははっ、そっか。」

しのびの俺様にも、普通の、いやそれ以上の幸せを手に入れることはできるんだ。
腕の中の愛しい女と、その女の腹ん中で眠る小さな命を一度に抱きしめて、俺様は世界で一番の幸せをかみ締めた。












命がおきる朝

(名前、考えないとね)
(お館様にもご協力いただかなくちゃね)
(…(っていうか、大将知ってたよな…))
(佐助?)
(ん、なんでもないよ旦那。)
(?)

――――――
赤さんリクでした。
赤さんのお知らせを聞いたお館様はニマニマしているといい。

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