サンプル『軌跡〜君と共にあるということ〜』(前編)

本文より一部抜粋。

(過去同門組編)
「二人とも、そのへんに適当に座っていてください。お茶の準備がてら姫を呼んできますから」
それでも部屋の中に所々見られる季節ごとの花や装飾の類が(恐らく風早がしたのであろうが…)見られ、少しでも冷たく感じる室内を温かく見せるような心配りに、どこかほっとした。
風早に言われるまま来客用の椅子に腰かけた羽張彦にならって、忍人も適当な椅子に腰を下ろした。

「ここは、随分と采女や傍仕えの者たちの姿が見えないのだな」
見知った羽張彦と二人だけになった室内を、初めての場所にやはり興味を示すように忍人はキョロキョロと室内を見渡した。
「そうだな。ここは特別な場所だから、な」
椅子の肘かけに片肘を軽くつくようにして顎を擦ると羽張彦は忍人の言葉に答え、
目の前の卓上に広げられていた書簡のようなものを手持無沙汰に取ってカラカラと手繰っては目を通す。
その手元に視線を向けた忍人に、唇を引き上げるようにしてふっと笑うと、手にしていたそれを投げて寄越してきた。

「あ、おい。そんな風に扱うなど…」
放られたものを急いで落とさないように受け取りながら、忍人は大雑把過ぎる兄弟子を嗜めた。
見れば何かの子供向けの物語のようだったが、これ一つでも個人と言うよりも国の備品のようなものである。
万が一損傷でもしたらやはり後味も悪い。
むっと告げる忍人に羽張彦は「まあまあ」と人好きのする笑顔を浮かべて答えると、
椅子の背もたれにもたれるようにぐぐっと体を伸ばすとコキコキと肩と首を鳴らして首元を擦った。

「ああ、肩凝るな」
なおもぐいっとストレッチでもするかのように手足を伸ばしたり動かして落ち着かない。
やれやれと思いながら、ああだこうだと言う羽張彦にせがまれて、
仕方なしに忍人は席を立つとその広い肩口に手を伸ばし肩を揉んでやる。

「あああ…気持ちいいなぁ。忍人、お前なかなか上手いな。もうちょっと上、そこそこ!お前最高」
「…うるさい、静かにしろ」
すっかり肩揉みにご満悦の様子で羽張彦がはしゃぐのを嗜めるが、あまりに素直に喜ぶ様子に、
忍人もやれやれと苦笑して硬く広い兄弟子の肩と首の辺りを揉んでやる。自分にこんな事をさせるのはこの兄弟子ぐらいだ…。とため息を付く。
父にすらした事がないのにと思いつつも、いつも忙しい中自分の稽古に、嫌な顔一つせず付き合ってくれる兄弟子に、普段への感謝の孝養だ…と言い聞かせて手を動かす。
面と向かってはありがとうとは言いにくいから、こうして行動で示す。
羽張彦もそんな忍人の性格を分かっているのか、敢えて言う事もない。
またそう言うことにも羽張彦本人は、あまり頓着していないのかも知れないが…。



(幼少忍千編)
はらはらと舞い散る桜吹雪。
視界を淡く染め上げて、ぼんやりとした世界に光が見えた。

「ねえ、ちょっと、大丈夫?しっかりして……」
焦点の定まらない視点で、眼前に覆いかぶさるように見える姿を見つめる。
「わかる?私の事、見えてる?ねえ……」
パタパタ……と雫が落ちてきた。瞼の上に、頬に。
「…う、……雨、…?」
ぼんやりする頭の中で、空が青いのに何故雨が…と考えていた。
目の前にいる存在の気配に、急速に意識が覚醒してくる。何度か瞬きを繰り返したら視界がはっきりしてきた。
そうして、何故自分の目の前には二ノ姫がいて、自分を見下ろしているんだろうかと考える。
同時に背中の下に柔らかな土の感触を感じ、どうやら倒れているらしいと気付いた。

―――刹那。
「きゃあっ―――」
がばっと勢いよく起き上がった忍人の勢いに驚いて身を逸らすように仰け反った二ノ姫が、
後ろ向きに倒れそうになるのをどうにか伸ばした腕で引き止め、支えてやる。
急に動いたせいか一瞬立ちくらみのような感覚を覚えたが、それよりも今のこの状況の方が理解できずに、忍人は慌てて辺りを忙しなく見渡した。

「ここ、は…。俺は……」
ズキンと痛むこめかみの辺りを押さえながらまだ驚いたように呆けている二ノ姫の方を見る。

「び、びっくりしたのはこっちです。声を掛けようとしたら急に振り向いて…
かと持ったらあなた、いきなり倒れるんだもの…すごくびっくりした。
呼んでも目を開けてくれないし、風早達を呼びに行くのもできなくて……
私、私どうしたらいいか分からなくて…」
驚き過ぎてなのか、興奮しているせいかは不明だが、酷く取り乱した様子の二ノ姫はそう言いながらもボロボロと涙をこぼして泣いている。
しゃくり上げるようにしながら文句を言い募る二ノ姫は、およそ先ほど見た人物と同一人物だろうか…と見まがうほどによく喋る。
涙声で言っているものだから正直何を言っているのか聞き取るのさえ困難だ。

どうやら彼女を泣かせたのは自分らしい、と気付き、忍人は頬に残る冷たい感触は雨ではなく二ノ姫の涙だったと思い至る。
何となく衣装の袖でそれを拭うと、おもむろに懐に手を入れて布を取り出すと、無言で二ノ姫に差し出した。

「…………」
「…え……」
忍人の行動に、差し出された布と彼の顔を交互に見て二ノ姫が不思議そうに首を傾げる。
どうやら涙は止まったらしい。

「………涙。拭くといい」
「あ、あり、がとう……」
忍人の意図が伝わったらしく、おずおずと手を伸ばして二ノ姫はそれを受け取ると
遠慮がちに目元に当てて涙を押さえる。
「…手間がかかるな。それじゃ拭けないだろう」
軽く舌打ちすると、忍人は二ノ姫の手から布をあっさりと奪うと
ぐっとまだ濡れている瞳と頬に押し当てるようにして拭いてやった。

「い、痛い…です」
「我慢しろ。――返さなくて良いからしっかり拭くんだ。ほら、こっちも……」
気恥かしい感情も手伝ってか、多少乱暴になってしまった手元は許してもらおうと思い、
忍人は無言で二ノ姫の顔を清める事に集中した。
痛いと言いつつ、おとなしく忍人のする事を受け入れているらしく、二ノ姫は正座の姿勢で受け止める。

「……その、すまなかった。驚かせて」
「………いえ……」
一通り拭き終わると布を二ノ姫の手に握らせ、小さく呟くように謝罪の言葉を口にする。





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